私は現在、12歳の中学1年生の男女の双子のママです。10年ほど前からシングルマザーでもあります。
双子の出産を経験して、バツイチになってと年齢を重ねるごとにたくましさが増していきます。ヒゲが生えてきそうなほど強くなりました。
出産当時の私は身長154センチの体重40キロという、とても小柄な体型でした。
不妊治療の末、双子を妊娠
私は、若い頃から生理不順だったこともあって少しだけ不妊治療のようなものをしていました。
「クロミッド」という排卵誘発剤を飲んで、着床しやすくするために何度も注射を打つ…そんなことを何ヶ月か繰り返してるうちに妊娠をしました。
治療をして妊活をしていたので、一般的な妊婦さんよりも妊娠に気づくのは早かったです。
最初は普通に受精卵が一つありました…一つだったような気がしました。そして検診を続けていくうちに、双子の妊娠が発覚しました。
私の場合は二卵性双生児の双子です。一卵性の双子の場合は受精卵が二つに分裂するのですが、二卵性の場合は最初から二つの受精卵があるのです。
なので私の受精卵が一つのような気がするというのは、気のせいか、ただの間違いだったのです。それか妊娠がわかったのが早かったからなのかもしれません。
つわりも2倍…それホント?
双子の妊娠をしてすぐにつわりが始まりました。
つわりはとてもひどかったですね。何かを食べれば吐くし、飲んでも吐くし、歩いて疲れても吐くしと辛かったのを覚えています。
そのころには、私は通い慣れていた産婦人科から紹介状をかかれて、大きなNICUのある総合病院へと転院していました。
総合病院の産婦人科医は男性で、出産するまで正直あまり良い印象はありませんでした…今でもその病院の産婦人科には通っていますが、私は当時はまだいなかった女医先生のところへ通っています。今でも、その総合病院の古くからいる先生方は好きにはなれないのです。
当時、つわりがひどいと言ってみれば「つわりはもっとひどい場合もある、双子だからつわりは2倍なんだ」と返答してくる男性の先生。
これは本当かどうかは定かでありません。いくら産婦人科医でも出産経験も生理痛も何もない人には分からないものというものもあります。
そもそも性別が違ければ、内診で痛みがあることや女性ならではの体の不調も分からないのです。
それは病院の先生だけではなくて、ご主人様なども当てはまります。私は産婦人科医は男性でないほうがよい!というのは双子の出産を通して感じました。
妊娠25週で子宮経口の長さが6ミリ!?
つわりが落ち着いた妊娠25週のころには、お腹はとても大きくなっていました。まるで妊娠後期の始めのころのような大きさです。
経過は順調で何もトラブルなく過ごしていました。今考えてみれば、お腹の張りは頻繁に起きていたのかもしれません。
ある日の夜に突然、尿漏れのような水っぽいものを排出しました。尿漏れなんだか、まさか破水!?と何が出たのか分からなかったので、通っている総合病院の緊急外来へと夜間に行きました。
診察の結果、破水はしていなくて尿漏れでした。しかし、恐ろしい結果が待ち受けていました。
「破水はしていないけれど、子宮頸管の長さが6ミリしかない…このまま入院で絶対安静!」子宮頸管というのは赤ちゃんの通り道で通常3センチか4センチはあります。これが0センチになったときが出産で、よく「子宮口がひらいた!」という状況です。
この時の私は、いつ破水してもおかしくないという状況にあったのです。
呆然としている私の元へ、ダッシュで看護婦さんが車椅子を転がしてやってきました。
私の頭の中は「妊娠25週では赤ちゃんが出てきて死んでしまうかもしれない」という不安しかなく、ただただ震えが止まりませんでした。
切迫早産との戦い開始!
車椅子でそのまま病室へついていかれ、ベットにうつされてすぐに点滴が開始されました。
この点滴はこの日から、約3ヶ月間休むことなく入れっぱなしとなります…36週目までです。今でも忘れない「ウテメリン」という薬の点滴です。
入院して一時間後にはウテメリンの副作用で嘔吐が止まらなくなりました。
これもこの先3ヶ月間続きます。私を入院にした妊娠中の病名は「切迫早産」です。超がついてもよいくらいの切迫早産でした。
私の入院中の決まりごとは「ベッド上安静」「部屋以外は車椅子」です。
部屋はトイレがついた個室だったので、私が歩いてもよかったのは5メートルほどの室内だけでした。もちろんお風呂には入れません。妊娠25週で切迫早産との戦いが始まりました。
二度と妊娠はしたくない
私は妊娠25週で切迫早産となり、双子の子供たちを36週5日目で出産しました。
双子はNICUには入ることなく普通の赤ちゃんより少し小さめに元気に生まれてきました。
元気で生まれてきたから今こういう話ができますが、私はもう二度と妊娠はしたくありません。なぜならば、子供の死と戦わなければならない思いを二度としたくないからです。
双子妊娠時の私の体の中には3つの心臓がありました。双子たちの心臓を止めるわけにはいかないと私は命をかけて36週5日目まで持ちこたえました。
途中、双子たちの2つの心臓ではなくて、私の心臓を守ろうとした病院にも逆らい結果的に勝利しました!
…切迫早産は本当に辛いものです。ただし、今では良い経験をしたと思っています。約4ヶ月ほどの入院生活でした。切迫早産を乗り切るのに大事だったのは「無心」でした。
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