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乳腺炎を最悪な状態まで悪化させたママの話1~それは筋肉痛のような痛みで始まった~

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医者が「もうダメかも」と思うほどの、かなりキツイ乳腺炎を体験したママのお話です。なるべく優しい表現を心がけていますが、壮絶なものが苦手な方はやめたほうがいいかも。今回は序章です。

結婚二年目に息子を授かる

結婚して二年目のこと。我が家に待望の男の子が生まれました。出生体重は3790g。

大きくて元気な男の子です。私は今度こそ母乳で育てようと意気込んでいました。長女を出産した時に生後3ヶ月あたりで粉ミルクに切り替えたことがとっても心残りだったからです。

というのも、実は長男は再婚で授かった子供。長女は以前の主人の子供です。最初の結婚はまだ若く、結婚相手はまだ大学に在学中でした。

私は社会に出ていましたが、授かり婚だったため仕事をやめざるをえず、結婚当初から義両親、義兄と共に同居。

私自身人生そのものに経験が浅く、まだまだ甘えの抜けきれない年頃のせいか、同居が非常に辛く感じていたのだと思います。やがて長女が生まれ、母乳はあふれんばかりで母乳育児は順調に思われました。でも思わぬ落とし穴があったのです。

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ストレスで止まった母乳

当時まだ21歳だった私は、母乳といえども義家族のまえで胸をさらけ出すことにとても抵抗がありました。しかも夫と2歳違いの、まだ大学院に在学中の義兄もいたのです。

義両親はとても良い人たちでしたが、「お母さんなんだから恥ずかしがることないよ。」というスタンスで、それを強いて断る勇気もなく、リビングで母乳をあげ続けていました。

そんな生活の中で、やがてストレスからなのか、あんなに豊富に出ていた母乳の出が悪くなり、枯れるように止まって行ったのです。

今にして思えばきちんと自分の気持を話して、誰もいない部屋で母乳をあげることも出来たと思うのです。良い人たちでしたから恐らく無理強いはされなかったとは思います。

でもまだ若かった私はそんな自己主張はわがままかもしれないという思いから、長女の母乳育児をあきらめた経緯があるのでした。

今度こそ母乳で育てられる!

「今度こそ、きちんと母乳で育てたい。」

長男を授かったときから心の中でそう決めていた私は、意気揚々と母乳での育児を開始。

長女と、生まれたばかりの長男は実に15歳離れています。年齢のせいもあるのか、母乳の出は最初から思わしくありません。しかし母乳に対する思い入れが強かった私は気長に母乳をあげ続け、なんとか順調に母乳が出るようになっていきました。

母乳育児の醍醐味はなんといっても授乳が楽なことに尽きます。夜中にごそごそ起き出してミルクを作らなくていいし、お出かけの荷物もぐんと減るので出掛けるのも億劫にならず、私は母乳生活をとても楽しんでいました。

母乳育児のおかげかとてもお腹が減りましたが、それさえも新鮮で嬉しく感じる始末。もちろん「おっぱいのため。」とうそぶき、甘いものや脂っこいものなど欲望のままに食べていたのです。

気のせいのように思える小さな痛み

母乳育児を謳歌して3~4ヶ月の頃だったでしょうか。ある日、右の胸の外側辺りに引き攣れるような小さな痛みを感じました。

右利きの私は、大掃除などで窓拭きなどに熱中すると、右の胸が筋肉痛になります。ちょうどあんな痛みで、そのときは「昨日何かしたっけ?」くらいにしか思っていませんでした。

呑気な話ですが、あまりに痛みが軽かったのと、痛みが完全に筋肉痛のそれと一致していたので「乳腺炎」などというワードは頭の中にチラッとも浮かびません。揉んだり腕をぐるぐる回しながら「年だな~、やんなっちゃうな~。」と思いつつも次第に忘れていきました。

一向に改善しない筋肉痛

ところが、翌日になっても、翌々日になっても筋肉痛は一向に改善しません。段々右側の乳房が歩いて揺れるだけでも響くようになり、この段になってようやく「乳腺炎かもしれないな・・・。」という考えが頭の中をチラリとよぎるようになったのです。

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でも・・・。何を隠そう私は大の医者嫌い。聴診器の冷たい感触も、金属が触れ合うカチャカチャという音も、寒気がするほど苦手なのです。

乳腺炎かもしれないと思ったら早めに受診するという知識は当然あったのですが、乳腺炎が初期の段階では温めてマッサージをするという余計な知識までもがあり、私の脳内は当然、セルフマッサージというお手軽な方法に飛びついたのです。それがこの後の地獄絵図の始まりとも知らずに。

当時の状況

私の家族は4人。夫、私、長女は高校1年生、そして8月生まれの長男。歩いて5分ほどの距離に主人の実家があり、義母が一人で住んでいました。(義父は主人が中学生の頃亡くなっています。)

義母にとっては実の初孫である長男ですが、とても子供を預けられる雰囲気の人ではありません。初めて長男と対面したときも「抱いてみて。」と勧めたら「あ~やだやだ、おっかない!」と断られたこともあります。

どうやら「壊れそうで怖い。」という意味らしいのですが、長男を連れて遊びにいっても遠巻きにみているだけ。迷惑そうではないのですが、何しろリモコンの電池も替えられない人なのです。

「病院に行きたいから預かってください。」などとお願いできるとは思えません。

乳房は日に日に痛くなり、授乳するだけで飛び上がる痛さ。筋肉痛かなと思ってから約3週間ほどが経過していました。

当時の気持

ここまで読んで、普通の人なら「なぜご主人に相談しないのか。」と思うことでしょう。

今、自分自身で振り返ってみても早く相談して仕事を休んでもらうなり、長男を預かってくれるところを探すなりしてもらうべきだったのです。または高校生の長女も何らかの協力をしてくれたに違いないのです。

それでも相談しなかったのはなぜだったのでしょう。7年経った今でははっきりとはわかりません。医者嫌いはもちろんですが、当時の気持を振り返ってみると、再婚であることに少なからず負い目を感じていたのかもしれません。

確かに勝手な負い目ではありましたが、主人は初婚でしたし、私は再婚である上に結婚当初中学生だった娘までいたことや、面倒をかけたくないという妙なプライドやらがごちゃごちゃになっていた様な気がします。

そのために「仕事を休んで。」などといって面倒だと思われたくなかったという気持があったと思います。(今にして思えばまるで別人。自分の変貌振りにドン引きです。)

しかもそんな状態になってもなお、「マッサージで何とか・・・・!」などと考えてぐりぐりを自己流マッサージを続けていたのです。

皮膚の色が・・・。

そんなある日、とうとう私の右乳房は熱を持ち始め、心臓が脈打つのにあわせてズキンズキンと激しく痛み出しました。

朝目覚めると、痛む箇所の辺りの皮膚が赤黒く変色し、痛すぎて寝返りも打てない状態に。吐き気はするわ、微熱はあるわ、頭が痛いわ・・・!

このときになってようやく悟ったのです。「私の右乳房は限界である。」と。

私は重すぎる腰を上げ病院にいくことを決意しました。しかしなんと・・・。そんな時に限って主人は3日間の出張中。自業自得というものです。

長女は学校ですし、仕方なく義母に連絡を取り、「乳腺炎になったので長男をちょっとの間見ていてくれないか」と頼みました。

義母は「友達と映画に行くんだよねぇ~。何分で帰ってこれる?」と聞きます。

「混み具合もありますし、診察もするのでな・ん・ぷ・んかはちょっとわからないです・・・。」と答えると

「え~・・・、映画断ったらもう誘われなくなっちゃうしぃ~。」と電話口で無言に。

仕方なく「わかりましたもういいです・・・。」といって電話を切りました。

八方塞がりな私の右乳房は、この後想像を絶する状態に突入していくのでした・・・。

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