双子を妊娠中の私は、妊娠25週目になり切迫早産で入院をしました。
子宮経口が6ミリという、かなり危険な状態です。双子を出産したのは36週の5日目でした。
この6ミリの子宮経口を維持している間は、山あり谷ありという感じで、一ヶ月に一度「産まれそうです、覚悟をしてください」という日がやってきました。
切迫早産で入院生活開始!
緊急入院をしてすぐに「ウテメリン」の点滴が開始されました。
切迫早産の治療薬のウテメリンには強力な副作用があります。
ウテメリンはお腹の中の子供達には影響がないけれど、私はウテメリンの点滴を始めて1時間もしないうちに吐き気、動悸、震えなどにおそわれました。しかしこの点滴を抜くことはできないので、ひたすら吐く日々が続きました。
このウテメリンを入れることでお腹を張らないようにして子宮経口を開かないようにしていくのです。
私の具合が悪くても、子宮経口さえ開かなければ問題はないのです。
出産をするまでウテメリンの点滴を抜くことは一時もありませんでした。切迫早産の状況によってウテメリンの投与値は違います。私の出産時のウテメリンは「4A30」というマックス値での点滴でした。
毎日の生活としては、とにかく安静にしている…ただそれだけです。
毎日、お腹の状態を機械をつけて測りました。双子の子供達の心臓音が聞こえる「ノンストレステスト」というやつです。
折れ線グラフのようなものでお腹の張りなどが分かるもので、グラフの山が大きくなっているとお腹が張っているという状態になります。
そして大きな山が繰り返されるとますますヤバい状態となります。「産まれそう!」というお腹の状態に近いということになるのです。調子が良いときは大きな山はできないのですが、一ヶ月に一度山場が必ずやってきました。
ノンストレステストの山が連発する
毎日のノンストレステストをしていると、一ヶ月に一度、今日はなんだかお腹がパンパンだなという日がありました。
そんなときの「ノンストレステスト」は、大きな山が連続して繰り返されます。まるで陣痛がこれから起きる人のデータのようになります。
この状態になると、昼間であろうと夜中であろうと、私の周りは慌ただしくなりました。
- 「ご家族をよびます」
- 「小児科NICUのドクターの確認をします」
- 「子宮経口のチェックをします」
…などなど、超未熟児が産まれてきてもよいように体制が整えられるのです。
私が双子の出産をしたのは36週目なので、この一ヶ月に一度の山場は陣痛まで突入してしまうということはありませんでした。突入していたら、今はこんな風に当時のことを話せなかったのかもしれません。
肺をつくる注射!?を打つ
切迫早産の入院中にノンストレステストと内心の結果、何度か「産まれそう!」という事態になりました。
そんなときに、超未熟児の双子達の出産をするということの準備で「赤ちゃんの肺を作る注射」というものを私の肩に打ちました。
当時の私は「こんな一本の注射でそんなばかなことはない!」と思っていました。
この記事を書く上で、そのときに打った注射について気になって調べてみました。
その注射は「副腎皮質ステロイドホルモン」というものでした。副腎皮質ステロイドホルモンというものを調べると難しい言葉がたくさん並んでいますが、この注射を打つことで子供達の肺の成長を促すことができるんだそうです。
膣内洗浄はこまめに行う
切迫早産で入院をしてから、ウテメリンの強力な点滴以外に「膣内洗浄」もこまめにしていました。
入院中の診察は診察室へ車椅子で看護婦さんに連れて行ってもらっていました。入院中の病室の同じ階に入院患者用の診察室がありました。あまりにも状態が悪い場合は診察室ではなくて、病室のベッドの上で診察を受けました。
お風呂は出産するまでに2回入ったくらい
出産するまでに入院期間が11週ほどありましたが、この間にお風呂に入った記憶は2回程度しかありません。
毎朝蒸しタオルで体を拭いていました。
車椅子でしか移動を許可されていなくて、ベット上安静だったのでお風呂になんか普通に入れるわけがありません。
髪の毛は看護婦さんが美容室のように何度が洗ってくれました。お風呂に入るときは、点滴を刺したまま30分ぶんのウテメリンが流れるようにしてテーピングをして入りました。
この時期から離婚が見えていたのかも…
入院中の一ヶ月に一度の山場が起こるときの共通点がありました。必ず、当時の旦那様が面会に来た後だったのです。
仕事で忙しい人だったので年中面会には来ていませんでした。
昔から決まった香水をつけていた人なのですが、双子の妊娠がわかってからもいつもと変わらず日常を貫いていたのです。
双子の妊娠をしたころから五感は大きくかわりました。
つわりもひどかったし、妊娠中は正直いえば体調万全のときはありませんでした。
双子の妊娠に関して理解が全くなかったのでしょう。理解していたつもりでも、ダメダメだったのです。
たまに面会にくると、香水の臭いや食べ物の臭い、とにかく何もかもが辛かったのです。
そしてお腹は頻繁に張りました。結果、双子達は無事に出産しましたが、その何年か後には離婚しました。大事な場面でこそ人生の局面になるのです!
私は今、元気な男女の双子達とたくましく幸せに暮らしています。
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